混ぜすぎた美術史 80 ~香月泰男

アート

香月泰男(1911–1974、日本)

記憶は消えない――極限を生きた人間の形

戦後日本美術において、香月泰男ほど「記憶」を描き続けた画家はいない。

第二次世界大戦で応召し、終戦後はシベリア抑留を経験した彼にとって、戦争は歴史上の出来事ではなく、身体の奥に刻み込まれた現実だった。その体験は帰国後、《シベリア・シリーズ》として二十年以上にわたり描き続けられることになる。

出典:Artpedia/香月泰男「涅槃」(シベリア・シリーズ)

《埋葬》では、死者を見送る静かな営みが描かれる。そこには英雄的な悲劇も劇的な演出もない。ただ、生者が死者と向き合う時間だけが、重く画面に横たわっている。

出典:Artpedia/香月泰男「埋葬」

《北へ西へ》では、果てしなく続く大地と、人間の小さな存在が対置される。過酷な自然の中で、人間は無力でありながら、それでも生き続けようとする。その姿は、戦争の記録というより、人間という存在そのものへの問いとなっている。

出典:Artpedia/香月泰男「北へ西へ」

しかし、香月の絵画の力は、描かれた出来事だけにはない。画面に近づくと、幾度も塗り重ねられ、削られ、乾かされ、再び重ねられた豊かなマチエールが現れる。その絵肌は、まるで土や岩盤の断面のように、長い時間が堆積した地層を思わせる。そこでは苦しみは単なる物語ではなく、絵具そのものへと姿を変えている。体験は図像として再現されるのではなく、物質そのものとして画面に沈殿しているのである。

出典:Artpedia/香月泰男「雪山」

香月の作品は、体験をそのまま再現するものではない。簡潔な形態、抑えられた色彩、余白を生かした構成、そして時間を抱え込んだ厚いマチエールによって、出来事は記憶へと変わり、さらに普遍的な人間の姿へと昇華されていく。彼が描いたのはシベリアではなく、シベリアという経験が人間の内側でどのように積み重なり、生涯消えることのない記憶へ変わっていくのか、その時間そのものだった。

出典:Artpedia/香月泰男「黒い太陽」

彼が描こうとしたのは、敵や味方ではなく、生と死でもなく、その両方を抱えながら生き続ける人間だった。

その意味で香月泰男は、戦争画家というより、人間の尊厳を描いた画家である。極限状況を経験したからこそ、人が食べること、眠ること、歩くこと、仲間を思うことといった、ごく当たり前の日常が、かけがえのないものとして画面に現れてくる。

出典:Artpedia/香月泰男「渚〈ナホトカ〉」

同時に、その絵画は経験を形式へと変えていく過程そのものでもある。激しい感情を直接ぶつけるのではなく、時間をかけて絵具を重ね、削り、沈殿させることで、記憶は画面の表面そのものとなる。そこには一瞬の悲劇ではなく、長い時間をかけて積もっていく人間の生がある。香月のマチエールが地層のように感じられるのは、その表面に過去の時間が幾重にも堆積しているからだろう。

香月泰男は、記憶を忘れるために描いたのではない。忘れることのできない記憶を抱えたまま、それでも生きていく人間の姿を描き続けたのである。 彼は、生と死、絶望と希望、過去と現在という異なる味わいを、一枚の皿の上に静かに盛り付けただけではない。その皿そのものを、時間という地層によって形づくった画家だったのである。

出典:Artpedia/香月泰男「青の太陽」

カツカレーカルチャリズム画家列伝23 ~香月泰男、松本俊介 編 | それいけ!カツカレーカルチャリズムマシーン ~思考と余剰を駆動する美術史ブログ

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