ナンシー・スペロ(1926–2009、アメリカ)
声を持たなかった者たち―― 歴史の余白に描く
レオン・ゴルブが暴力を行使する側の身体を描いたとすれば、ナンシー・スペロはその暴力によって沈黙させられた人々の声へと向かった。
第二次世界大戦後、西側社会では個人の自由や権利が重視されるようになった。しかしその理念は、すべての人々に等しく与えられていたわけではない。

女性たちは長いあいだ歴史の周縁に置かれ、その経験や言葉はしばしば記録されることなく消えていった。
スペロの作品は、その忘れられた存在たちを呼び戻そうとする試みである。
1960年代後半の《戦争シリーズ(War Series)》では、ベトナム戦争を背景に、人間の身体が暴力によって傷つけられる様子が描かれた。そこには英雄的な戦争の姿はない。あるのは破壊される肉体と、人間が生み出す残酷さだけである。


その後の代表作《女性の拷問(Torture of Women)》(1976)では、国際機関の報告書や新聞記事から引用された女性への拷問や虐待の記録が、細長い紙面の上に連続的に展開される。文字とイメージは互いに補い合いながら、歴史の中で繰り返されてきた暴力を静かに告発している。



しかしスペロの関心は単なる被害の記録にとどまらない。
1980年代以降の作品では、古代神話や歴史、異なる文化圏から集められた女性像が画面を横断するように現れる。踊り、飛び、語り、祈るその姿は、長く沈黙を強いられてきた存在たちが再び歴史の表舞台へ現れてくるかのようである。
スペロはしばしばフェミニズム美術の代表的な作家として語られる。
それは確かに重要な側面である。
しかし彼女の仕事は、単に女性というカテゴリーを主張することではなかった。

むしろ彼女が問い続けたのは、誰が歴史を書き、誰が語る権利を持ち、誰がそこから排除されてきたのかということである。
その意味でスペロの作品は、戦後社会が広げた「個人の尊厳」という理念をさらに押し広げようとする試みだったとも言える。
一人ひとりの人生に価値があるのだとすれば、そこにはこれまで記録されなかった人々の経験も含まれなければならない。

スペロは絵画を使って、新たな英雄を描こうとはしなかった。
彼女が与えようとしたのは英雄の座ではなく、声である。
彼女は、「語る権利」と「語ることを許されなかった歴史」を、ひとつの物語として同じ皿へ並べたのである。

カツカレーカルチャリズム画家列伝43 ~ナンシー・スペロ 編 | それいけ!カツカレーカルチャリズムマシーン ~思考と余剰を駆動する美術史ブログ

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