カジミール・マレーヴィチ(1879–1935、ロシア/ソビエト)
純粋のゼロ地点
ロシア・アヴァンギャルドにおいて、最も急進的な転換を示したのがマレーヴィチである。彼は絵画を、対象を再現するための手段から解放し、純粋な感覚そのものを提示する装置へと変換しようとした。その試みは「シュプレマティスム(至上主義)」として結実し、芸術の基盤そのものを問い直すものであった。


1915年に発表された《黒の正方形》は、その象徴的な到達点である。それはもはや風景でも人物でもなく、意味や物語を拒絶した単なる黒い形態にすぎない。しかしその「何も描かれていない」状態こそが、絵画をあらゆる外部の参照から切り離し、純粋な知覚の場として成立させる契機となった。マレーヴィチにとって重要なのは、何が描かれているかではなく、「見る」という行為そのものの条件を再設定することであった。

彼の作品において用いられる直線や円、正方形といった幾何学的形態は、個人的感情や歴史的文脈を排除した、普遍的な視覚言語として機能する。それは誰にとっても同じように知覚され得る形式であり、特定の物語や文化に依存しない。ここで絵画は、世界を写し取るものではなく、世界を構築するための最小単位へと還元されている。
この極端な還元は、単なる抽象化ではない。むしろそれは、芸術を「ゼロ地点」にまで引き戻し、そこから新しい視覚の体系を立ち上げるための試みであった。すべてを削ぎ落としたあとに残るもの――それが新しい社会にふさわしい普遍的な言語であると、マレーヴィチは考えたのである。

整えられたカツカレーが崩れたあと、西欧の画家たちがその味わいを再構成しようとしたのに対し、マレーヴィチはそもそも「料理とは何か」という前提そのものを問い直した。具材もルーも取り払われた皿の上に残る、純粋な「かたち」だけを提示することで、彼は視覚の基礎単位を露出させたのである。
彼は、米の粒だけを残し、カレーを透明になるまで希釈し、カツからは衣も脂も削ぎ落として、もはや料理と呼べるかも曖昧な一皿を差し出したのだ。

しかし、この到達は終点ではなかった。1920年代後半から1930年代にかけて、ソビエトでは前衛芸術への批判が強まり、抽象表現は「非社会的」「理解不能」として排除されていく。やがて社会主義リアリズムが求められる中で、マレーヴィチもまた人物や農民といった主題へと向き直らざるを得なかった。
だがそれは単なる迎合ではない。彼自身にとっても、「ゼロ地点」に到達したあとに、いかにして再び像を成立させるのかという問題は避けがたいものであった。すべてを削ぎ落としたあとに、なお人間を描くことは可能なのか――その問いが、後年の制作を方向づけている。

実際、彼の農民像や人物画は写実的でありながら、顔が空白であったり、形態が極端に単純化されていたりする。それは現実の再現ではなく、一度解体された視覚の条件の上に再構成された像である。
ゼロに至った者だけが、再び形を持つことができる。マレーヴィチの具象は、体制の要請と自身の問題意識が交差する地点において立ち上がった、もうひとつの始まりであった。
それは素朴な情緒への回帰ではない。一度世界を解体した者は、もはや無垢にそれを見ることはできない。にもかかわらず、なお像を引き受ける――その困難さこそが、後年の作品に静かな緊張を与えている。

PSコラム:像の手前にあるもの ― コーラと絵画
ここで一度、ロシア・アヴァンギャルドという歴史的文脈から少し離れ、絵画そのものをめぐるより根源的な問題へと視点を移してみたい。これまで見てきた「再現から設計へ」という転換は、特定の時代や地域に固有の現象であると同時に、絵画という形式そのものが内包してきた問いでもあるからだ。
プラトンは『ティマイオス』において、「コーラ(chōra)」と呼ばれる概念を提示している。それはイデアのように固定された本質でもなく、感覚的に捉えられる対象でもない。むしろそれらを受け入れ、成立させるための「場」のようなものである。形を持たず、それ自体は把握されないが、すべてのものが現れるためには不可欠な基盤である。

この概念は、一見すると視覚芸術とは無縁に思える。しかし近代以降の絵画はしばしば、この「像が成立する以前の状態」へと接近しようとしてきた。
その極端な例のひとつが、マレーヴィチである。《黒の正方形》において彼は対象を消去し、《白の上の白》においては図と地の差異すら曖昧にした。そこではもはや何かが描かれているのではなく、「描かれることが可能になる条件」そのものが露出している。

もちろん、コーラは本来可視化されるものではない。したがってマレーヴィチの試みは、コーラそのものを提示したというよりも、それに限りなく接近しようとした操作と捉えるべきだろう。彼は、像を描くことをやめることで、像が生じる“場”を浮かび上がらせたのである。
この問題系は、その後の美術にも引き継がれていく。たとえばマルセル・デュシャンは、絵画の内部ではなく制度の側からこの問題に接近した。レディメイドにおいて彼は、対象そのものではなく、それが「作品として成立する条件」を露出させる。そこでは重要なのは形態ではなく、それが置かれる文脈であり、美術は物の属性ではなく“場”の問題として捉え直されることになる。

さらにジャクソン・ポロックのドリッピングは、もはや特定の像を形成することを目的としない。絵画は「何かを描く場所」ではなく、「出来事が生起する場」へと変化する。そこでは絵具は形を構成する要素ではなく、時間と身体の痕跡として画面に定着する。

マレーヴィチが到達した「ゼロ地点」が、像を消去することで場を露出させる試みであったとすれば、デュシャンはその成立条件を制度として剥き出しにし、ポロックはその場を運動によって満たしたと言えるだろう。前者が静的な極限であるのに対し、後二者はそれぞれ異なるかたちで場を作動させたのである。

このように見ていくと、近代以降の美術の一つの流れは、「何を描くか」ではなく、「どのような場が成立しているか」をめぐる探求として理解することができる。そこではもはやイメージは主役ではない。イメージが現れる以前の条件――すなわち、見えない“コーラ的な領域”こそが、問題となっているのである。 この視点は、再びロシア・アヴァンギャルドを読み直す手がかりともなる。

★以下のコラムでプラトンのコーラ、モダニズム、日本の受容などについて詳しく述べています。

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