ジョルジョ・デ・キリコ(1888–1978、イタリア)
遅れてやってくる意味 ― 不安な空間
デ・キリコは、対象や形態を消し去るのではなく、それらをあえて残すことで、別の不安定さを引き出した画家である。
彼の画面には、建物や彫像、広場といった具体的なモチーフが明確に描かれている。
しかしそれらは、現実の風景としてはどこか不自然で、時間が止まったかのような静けさの中に置かれている。

強い遠近法、長く伸びる影、見えないはずの視点。
それぞれの要素は整然としているにもかかわらず、全体としては説明のつかない違和感が残る。ここで起きているのは、形の崩壊ではない。むしろ、意味の安定が揺らいでいる状態である。
対象はそこにある。しかし、それが何を意味しているのかは確定しない。
見る者は、理解しようとすればするほど、解釈の手がかりを失っていく。

それは、複数の時間や記憶が重なり合いながら、ひとつに収束しない状態でもある。過去のようでもあり、未来のようでもある空間が、現在の中に宙づりにされている。
同時代の絵画が対象を分解したり、あるいは手放したりしていたのに対し、キリコは対象をそのまま残しながら、その意味だけをずらしていく。その結果として現れるのは、何が描かれているかは分かるのに、なぜそれがそこにあるのかが分からない画面である。

こうしたキリコの絵画は、後にシュルレアリスムの作家たちに大きな影響を与えることになる。とりわけアンドレ・ブルトンらは、その不思議な空間と意味の断絶に、無意識や夢の表現の可能性を見出した。
しかしキリコ自身は、無意識の噴出を目指していたわけではない。彼の画面はむしろ、古典的な構図や遠近法に支えられた、極めて静的で明晰なものである。
そこでは新しいイメージが生み出されるのではなく、既に存在しているものの関係がずらされることで、意味が不安定になる。

キリコは夢を描いたのではない。
むしろ、現実がそのまま夢のように見えてしまう状態を、静かに提示したのである。
彼は皿の上に、現実というライスを敷き、夢のようなイメージのカレーをとろりとかけ、さらに物理法則というカツを軽やかに載せた。そして、客である観者には出汁まで添えて差し出す。つまり、すべての要素はそこにあるものの、どう組み合わせて味わうかは観る者次第。キリコは、ひとりひとりが自分なりのマリアージュを見つけることを静かに促したのだ。

カツカレーカルチャリズム画家列伝20 ~デ・キリコ 編 | それいけ!カツカレーカルチャリズムマシーン ~思考と余剰を駆動する美術史ブログ


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