ジャズがまだ未来だった時代
1970年代のジャズは拡張の時代だった。
ロックとの融合、電化による音響空間の拡張、フリージャズの精神的深化。ジャズはさまざまな方向へと広がり、音楽の可能性を押し広げていた。
とりわけ マイルスデイヴィス の電化以降、ジャズは巨大な音響空間へと踏み出していく。音楽はより集団的になり、音は厚くなり、即興はより長い時間をかけて展開されるようになった。
しかしその流れの中で、少し不思議な位置に立つトランペッターがいる。
それが Hannibal Marvin Petersonである。

彼の音楽はフュージョンではない。かといって完全なフリージャズでもない。むしろそこには、非常に古典的なモダンジャズの身体がある。
この身体が1970年代の拡張するジャズの中でどのように変形するのか。それを鮮やかに示しているのが二枚のアルバム『ハンニバル』と『ザ・ライト』である。
この二枚は同じ音楽家の作品でありながら、まるでコインの裏表のように異なる表情を見せている。
トランペットという身体

『Hannibal』を聴くと、まず耳を打つのはトランペットのエネルギーだ。高く突き抜けるハイトーン。長く引き伸ばされる音。上昇し続けるフレーズ。その演奏は、まるで楽器の限界を試しているかのように聞こえる。
しかしそれは単なる技巧の誇示ではない。
むしろここで起きているのは、トランペットという楽器の身体を押し広げる試みである。
1960年代までのモダンジャズでは、トランペットは強い個性の象徴だった。
例えば リー・モーガンや フレディ・ハバード。
彼らの演奏にはブルースの情感とドラマが濃密に宿っている。音色そのものが人格であり、トランペットはまさに主役の楽器だった。
ハンニバルは、その身体性をさらに前へ押し出す。彼のトランペットは旋律を歌うだけではない。それはほとんど、エネルギーそのものが音になったような響きである。
構造の光

しかしもう一枚のアルバム『The Light』を聴くと、音楽の姿は少し変わる。ここではトランペットだけが突出するわけではない。ボーカルや合唱的な響きが現れ、音楽は広い空間の中でゆっくりと展開していく。最初は要素が多く、雑然としているようにも聞こえる。しかし聴き込んでいくと、そこには強い必然性があることが分かってくる。
荒々しいトランペットの印象とは裏腹に、ハンニバルはかなり構造を意識する作曲家なのである。
『Hannibal』が演奏の爆発だとすれば『The Light』は構造の光と言えるかもしれない。
この二枚はまさに、同じ音楽家の二つの顔である。
なぜ『Light』は何度も聴けるのか
『The Light』を最初に聴いたとき、音楽はやや複雑に感じられる。
ボーカル、アンサンブル、トランペット、集団的な響き。要素が多く、全体像がすぐにはつかめない。しかし何度か聴くうちに、その音楽が単なる混乱ではないことが分かってくる。
むしろそこには、かなり丁寧な設計がある。
フレーズは互いに呼応し、音の層はゆっくりと重なり、トランペットはその上を貫いていく。最初は散らばっているように見えた要素が、次第に一つの流れの中で結びついていくのである。つまりこの音楽は、聴くことで構造が現れてくるタイプの音楽なのだ。
『Hannibal』が身体のカタルシスを与える作品だとすれば、『The Light』は聴き込むほどその必然性が見えてくる作品である。

砂漠のジャズ
ハンニバルの音楽を聴いていると、ときどき奇妙な感覚が生まれる。それは都市のジャズクラブではなく、広い風景を思わせることだ。乾いた空気。遠くまで続く地平線。音が空間の中で長く漂う感覚。どこか砂漠のような風景がそこにはある。
1970年代のスピリチュアル・ジャズにも、こうした広がりは存在する。
しかしハンニバルの場合、その風景は非常に強い身体性と結びついている。祈りの音楽でありながら、同時に筋肉の音楽でもある。精神と身体が、同時に鳴っているのである。
ライヴの汗
しかしハンニバルの音楽を語るとき、スタジオ作品だけでは十分とは言えない。ライヴ録音を聴くと、そこにはさらに別の姿が現れる。トランペットはより荒く、より高く、より長く鳴る。音楽は整えられた構造を越え、身体の出来事のようになっていく。
それはほとんど叫びに近い。ブルースの叫びとも違い、フリージャズの破壊とも少し違う。むしろそこには、身体そのものが音を押し出す原始的な力がある。

スタジオの『The Light』が構造の光だとすれば、『Hannibal』は演奏の爆発であり、ライヴは身体そのものの音楽である。
カツカレーカルチャリズムとしてのジャズ
ここでカツカレーカルチャリズムの比喩を借りてみよう。カツカレーとは、異なる文化が重なり合って成立する料理である。カツは日本の洋食文化、カレーはインドを起源としながら英国と日本を経て変形した料理だ。異なる文化の要素が一つの皿の上で混ざり合い、新しい料理になる。
ハンニバルの音楽にも同じ構造がある。そこには
《ハードバップの身体》、《フリージャズの精神》、《スピリチュアル・ジャズの空間》
が同時に存在している。言い換えればそれは《身体のカツ × 精神のカレー》という関係である。

新しい世代との距離
1970年代のジャズには、もう一つ別の新しさがあった。それはより軽やかで、より新世代的な音である。
その象徴的な存在の一人が アーサー・ブライスである。
ブライスの音楽には明るい開放感がある。音響は新しく、構造も自由だが、どこか軽やかだ。

それに対してハンニバル・マーヴィン・ピーターソンの音楽はもう少し重い。
彼のトランペットには、伝統的なジャズの身体が残っている。ブルースの重さ、モダンジャズの緊張、精神的エネルギー。
ブライスが新しい都市の音を開いていくとすれば、ハンニバルは古いジャズの身体を抱えたまま、その限界を押し広げていく。

混成の力
純粋な伝統でもなく、完全な前衛でもない。
ハードバップの身体。フリーの精神。スピリチュアルな風景。
それらが衝突しながら一つの音楽になる。それはまさに、混成が生むエネルギーである。
そしてハンニバル・マーヴィン・ピーターソンのトランペットは、そのエネルギーを最も身体的な形で鳴らしている。
そこには、まだジャズが未来へ向かって開かれていた時代の力が残っているのである。
風景が音になるとき ~ アーサー・ダヴ と揺れ動くモダン
アーサー・ダヴ(1880–1946)は、アメリカ近代絵画における最初期の抽象画家の一人として知られている。しかし彼の作品は、いわゆる幾何学的抽象とは少し違う。ダヴの絵の出発点は常に自然だった。丘、雲、水、光――そうした風景の印象を、色と形のリズムへと変換していくのである。

ダヴは1910年代からすでに抽象的な作品を制作していたが、その抽象は自然を離れた純粋形式ではない。風景の感覚は常に画面のどこかに残り、形は単純化されながらも、空気や光の気配を保ち続ける。彼の絵は、風景と抽象のあいだで静かに揺れ動いている。

この感覚は、トランペッター、ハンニバル・マーヴィン・ピーターソンの音楽ともどこか通じている。
アルバム『Hannibal』では、トランペットはハードバップの強い身体性を保ちながら、極端なハイトーンやロングトーンを連ね、楽器の可能性を限界まで押し広げようとする。鋭いアルペジオや長く引き伸ばされた音は、技巧の誇示というより、音そのものを遠くへ投げようとするかのように響く。
一方、『The Light』では声やアンサンブルが重なり、音楽はより広い空間へと開いていく。旋律は単なるフレーズというより、空間の中へ投げられた声のように漂い、遠くへ広がる。音は都市のリズムだけでなく、時に広い風景のような感覚を呼び起こす。
しかしこの広がりは、単なる音響的な効果から生まれているわけではない。むしろそこには、表現を内側から押し広げようとする衝動がある。トランペットという楽器は、サックスのように多彩なフリークトーンを持つわけではなく、音色の変化にも一定の制約がある。その限界を知りながら、なおハイトーンや長い持続音によって音の領域をさらに遠くへ押し上げようとするところに、ハンニバルの意志が現れている。

ダヴもまた、似た動機を抱えていた画家だった。
アーサー・ダヴ の絵は自然を描きながら、その外形を写すことには満足しない。風景の奥にあるリズムや振動、光の気配を画面の中に引き出そうとする。丘や雲は単純化され、色と形の流れへと変わっていくが、それは自然を離れるためではなく、自然の内部にある力を表面へ押し出すためでもあった。
つまりダヴにとってもまた、単に風景を再現することには限界があった。自然の姿を正確に写すだけでは、その内部にある運動やエネルギーを捉えることができない。だからこそ彼の絵は、風景と抽象のあいだで揺れながら、自然のリズムそのものを画面の上に呼び出そうとするのである。

トランペットの音の限界を押し広げようとするハンニバルの試みと、風景を写すことの限界を越えようとするダヴの絵画。両者の表現は異なる領域にありながら、内側から湧き上がる同じ動機によって動かされている。 ダヴが自然のリズムを色と形へと変えていったように、ハンニバルは空間の感覚を音へと変えていく。そのとき音楽は、単なる様式としてのジャズを超えて、風景のような広がりを持つ表現へとひらいていくのである。


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