カツカレーカルチャリズム画家列伝37 ~ラフォーリー 編

アート

ポール・ラフォーリー ― 都市と無意識の曼荼羅を歩く画家

ポール・ラフォーリーほど、現代の都市文化と個人の内的宇宙を不思議なかたちで接続した画家は少ない。彼の作品は、建築、都市、機械、記憶、精神、SF的想像力が混じり合い、どこまで見ても終わらない迷宮のような密度を保っている。その画面に対峙すると、視線はただ絵を見るのではなく、絵の奥に入り込み、複数の層をさまよいながら、やがて中心のない中心に吸い込まれていくような感覚をもたらす。鑑賞者は、自分が絵を見ているのか、あるいは絵が自分の内部を覗き込んでいるのか、境界の曖昧な状態に連れ込まれてしまう。

出典:Artpedia/ポール・ラフォーリー

曼荼羅という“宇宙の地図”が示すもの

ここで、ラフォーリー作品を語る際にしばしば用いられる「曼荼羅」という言葉について、少し立ち止まっておきたい。曼荼羅とは、もともと密教において宇宙の構造を象徴的に示すために生まれた装置で、中心には大日如来などの本尊が位置し、その周囲に諸尊が秩序正しく配置される。これは単なる図像ではなく、修行者の意識を中心へ向かわせ、宇宙的秩序と内的世界を重ね合わせるための精神的導線である。

曼荼羅の本質は、「宇宙を可視化すること」とともに、「心の構造を可視化すること」にある。ユングが後年、“心の自己治癒の象徴”として曼荼羅を重視したのは、そこに外界と内界の構造的対応を見たためであり、曼荼羅の円環と中心軸は、精神の統合へ向かう無意識的プロセスそのものと重なる。つまり曼荼羅とは、宗教図像である以前に、世界と心を同時に扱う普遍的な“構造の思考装置”なのだ。

この曼荼羅の理論を踏まえると、ラフォーリーの作品がなぜ“曼荼羅的”と評されるのかが、より深く理解できる。

出典:Artpedia/ポール・ラフォーリー

都市の迷宮を“心理装置”へ変換する

ラフォーリーの絵画を特徴づける第一の要素は、その過剰な密度である。細密な線が迷路のように絡まり、建築物の断片が無数に折り重なり、パースペクティブは幾度もねじ曲げられ、視点は常に移動を強いられる。これらは単に「緻密」「技巧的」という評価では足りず、都市そのものが心理的装置として可視化されているような印象を与える。

都市の構造は外界のものであるはずなのに、ラフォーリーの手にかかると、まるで鑑賞者の内面を覗き込む迷宮へと変容する。外側の世界が内側へ浸食し、内側の記憶が都市の構造物として姿を現してくる。この外界と内界の境界が曖昧になる瞬間こそ、ラフォーリー作品の最も深い魅力である。

都市は本来、社会的で外側に開いた存在だ。しかしラフォーリーにおいては、それが精神の内部に折り畳まれ、思考の迷宮として再構築される。その状態は、都市文化の過密さと個人の感受性の鋭さが極度に結びついたときにのみ生まれる、非常に特異な感覚だと言える。

曼荼羅との構造的類似

ラフォーリーの画面はしばしば「曼荼羅のようだ」と形容されるが、これは単なる比喩ではなく、構造的に深い共通点を持っている。曼荼羅は中心から世界が展開していく宇宙図であり、視線を内側へ向ける装置でもある。ラフォーリーの作品にも、同心円状の反復や放射的エネルギーが随所に感じられ、鑑賞者の視線は自然と吸い込まれるように奥へ奥へと向かっていく。

しかし、曼荼羅と決定的に異なる点は、ラフォーリーの画面には「中心があるようでない」というところにある。曼荼羅は本来、中心に強固な支点があるが、ラフォーリーの作品ではその中心が空洞化され、あるいは無数の情報によって分散してしまう。視線は中心へ向かおうとするが、そこには何もない、または“中心が散乱している”という状態が生まれる。

この「中心のない中心」という構造は、現代の都市文化そのものにも通じる。膨大な情報と構造物の中に秩序がありながら、その核となるものは存在しない。ラフォーリーは無中心性を視覚化した稀有な画家であり、だからこそ彼の画面は曼荼羅的でありながら、曼荼羅を反転させたような不穏さを孕んでいる。

「脳に金属チップ」伝説と自己神話としての寓意

ラフォーリーには「脳に金属チップを埋め込まれている」という奇妙な伝説がつきまとう。本人の言動もこの神話を強化したが、医学的・事実的根拠はなく、現在では象徴的な自己神話として理解されるのが妥当である。

ユング心理学的に見ると、この「外部からのチップ」というイメージは、異質な意識が自分の内部を侵食する感覚の象徴であり、“外部意識との接続”を示す比喩でもある。都市のノイズ、情報の洪水、過密な構造物、過敏な感受性—それらが混ざり合うとき、自己の内部に自分ではない何かが入り込むような感覚が生まれるのはむしろ自然だ。ラフォーリー作品に頻出するアンテナ、配線、回路は、この象徴世界の視覚化である。

ラフォーリーは“外界の曼荼羅”を描いた画家

ラフォーリーの作品には、都市・心理・記憶・科学・SF・社会のすべてが、ひとつの画面の中で混ざらずに並んでいる。完全に融合していないのに同じ空間で共存するという特徴は、曼荼羅の秩序性よりも、むしろ現代の複雑で多文化的な状態を象徴している。彼の画面は、都市文明が個人の精神に蓄積されていくときに発生する“多層的無意識の図”であり、その意味で彼は都市の曼荼羅を描く画家だと言っていい。

出典:Artpedia/ポール・ラフォーリー

カツカレーカルチャリズム的視点から見たラフォーリー

ここに少しだけ“カツカレーカルチャリズム”的トッピングを加えるなら、ラフォーリーの画面は異文化・異物質・異想像力が「混ざらないまま並置」されていることに特徴がある。都市の断片、建築的パターン、心理風景、SF的回路、社会批評的構造、個人的神話、それらが互いに溶け合わず、別々の味を保ったまま同じ皿に乗っている。

これはまさに、カツ(構造)、カレー(混沌)、ライス(基層)が同居しつつ、独立した味わいを保持する「カツカレー的多層性」に近い。ラフォーリーは、混ぜれば混ざるという現代美術の常識に抗い、あえて混ざらない異種要素を並置したまま宇宙的な総体として提示する。その独自の姿勢が、彼の画面に曼荼羅のような多層宇宙性を付与していると言える。

ラフォーリーの作品は、都市の密度と個人の無意識が接触したときに生じる“外界の曼荼羅”であり、同時に彼自身が生み出した神話が細密な線の奥で静かに脈動している。彼の絵を前にしたときの「吸い込まれる感覚」や「どこまでも続く迷宮性」は、こうした多層的構造の結果として生まれている。ラフォーリーは、現代の複雑性を可視化しつつ、それを宗教的でもスピリチュアルでもない「都市的曼荼羅」として提示した、極めて稀有な画家である。

出典:Artpedia/ポール・ラフォーリー

【美術解説】ポール・ラフォレ「コンテポラリー・ヴィジョナリー・アート」 – Artpedia アートペディア/ 近現代美術の百科事典・データベース

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