カツカレーカルチャリズム画家列伝29 ~ゴーキー 編

アート

アーシル・ゴーキー ― 失われたルーツと抽象の荒野、カツカレー的爆発

アーシル・ゴーキーの絵画を前にすると、まず感じるのは、圧倒的なエネルギーの奔流である。厚く塗り重ねられた絵具はキャンバスの上で舞い、スクレイプやナイフの引っかき跡は地層のように蓄積し、無秩序に見える爆発が画面に広がっている。黒や茶、赤、白などの強い色彩が、鑑賞者の視線を休ませず揺さぶり、どこにも静止点を与えない。そこでは従来の具象描写も調和的構図も後景へ退き、画面全体が「行為の痕跡」として露わになっている。これはまるで、カレー皿の上でトンカツとルーと福神漬けが混ざりあい、食べる行為そのものの中から瞬間的な秩序が立ち上がってくるような光景に見える。ゴーキーが追い求めたのは、まさにその瞬間性であった。

抽象表現主義の流れの中で、ゴーキーは常に特異な位置に立っていた。ジャクソン・ポロックの爆発的なドリッピングと比較されることもあるが、ゴーキーの絵画はより物質的であり、手の痕跡に重みを残す。絵具を厚く盛り、引っかき、掻き落とし、時には手のひらで押し広げた跡を残す行為は、絵画を視覚的な現象であるだけでなく、触覚的な存在として立ち上げた。この物質性は、カツカレーの皿の上で具材とルーが絡み合い、味と食感が一体となる瞬間に似ている。画面を前にした鑑賞者は、視覚でありながら味覚にも似た「噛み応え」を覚える。画面の凹凸や擦過痕が、まるで舌の上で感じる食材の織り成すテクスチャのように心に迫ってくるのである。

出典:名画な画家の作品/アーシル・ゴーキー「花の水車」

ゴーキーの作品を特徴づけるもう一つの要素は、偶然の痕跡が生み出す秩序の美学である。垂れ落ちた絵具の線、スクレイプが引く思わぬ方向性、重ねられた絵具の予測不能な反応——それらは制御不能な混沌のように見えるものの、結果として画面全体にリズムと動勢を与える。これは、カレーのルーの偏りや焦げ目、混ぜる際の不規則な動きが、食べる瞬間にだけ現れる偶然性の秩序と重なる。過剰で混沌としているのに、どこかで調和が立ち上がる。この「混ざり過ぎない混ざり方」にゴーキーは敏感であり、偶然性を意識的に取り込むことで鑑賞者に予測できない快楽を与えた。

しかし、ゴーキーの抽象が単なる形式実験に終わらないのは、その背後に失われた故郷と自己のアイデンティティに関する深い闘いがあるからである。アルメニアからの移民であった彼は、幼年期に経験したジェノサイドによる分断、家族の喪失、流浪の生活、そしてアメリカでの「根のない生」の感覚に生涯向き合うことになった。具象表現から抽象へと向かった道筋は、単なるスタイルの転換ではなく、記憶の断片が形を失い、色や線の爆発として現れる過程そのものであった。トラウマは形を持たず、言葉にならない。だからこそ、ゴーキーは色や線、物質の混沌を通してその断片を形にしようとしたのだ。

出典:名画な画家の作品/アーシル・ゴーキー「ソチの庭園」

彼の人生には悲劇が多く、その連続が人生の終末に影を落とした。スタジオの火災で作品が焼失し、交通事故で肉体に痛みを負い、健康も精神も追い詰められていく。最終的に自ら命を絶つことになったが、その事実だけでは彼の作品の意味は測れない。むしろ、彼が描き続けた抽象の荒野は、苦難と痛みの只中にあって、それでもなお前を向こうとする意志の証として見るべきだろう。今日の日本でも自殺に関する問題は依然として重くのしかかっており、精神の不安定さや孤独と向き合う人々は少なくない。その中で、ゴーキーの絵画は単なる鑑賞物ではなく、自己の内側を少し外側に置いて眺め直す「現象学的な視座」を促す作品として作用する可能性がある。混沌と秩序の揺らぎ、傷と再生の共存、色と質の重なりをたどることは、メタ認知的に感情を眺める行為と重なる。自分の痛みや不安から距離をとり、しかしそれを否定しない態度がそこに宿るのである。

こうした視点を踏まえると、ゴーキーをカツカレーカルチャリズム的に読むことは、単なる比喩にとどまらない深い意義を持つ。彼の画面には、異質な要素が過剰に混在し、時に衝突し合いながらも、一つの皿としての統合を成し遂げる力がある。個人史の痛み、トラウマの断片、移民としての疎外感、そして再生への希求が、抽象という皿の中に盛られている。混沌は暴力性を孕みながらも親しみやすく、鑑賞者に「混ざる快楽」と「個々の味の主張の残響」を同時に体験させる。こうして、ゴーキーの抽象は視覚的カツカレーとして立ち現れ、一皿で人生の悲劇と再生のリアルを味わわせる芸術の極致となる。彼の絵画は、痛みと混沌を抱えたまま、それでも前を向こうとする精神に寄り添い、鑑賞者に静かな救済の可能性を示すのである。

アーシル・ゴーキー | 名画な画家の作品<パブリックドメイン>

出典:名画な画家の作品/アーシル・ゴーキー「婚約Ⅰ」

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