カツカレーカルチャリズム画家列伝15 ~藤田嗣治 編

アート
出典:Artpedia/藤田嗣治 「自画像」

藤田嗣治 ― 洗練の下に潜むカツカレー的遊戯と、崩壊を経て再生する執念の白

藤田嗣治の乳白色の肌理、精密でありながら柔らかく流れる輪郭線、計算された構図は、見る者に陶磁器のような視覚的陶酔を与える。その滑らかで均質な白の表面は、単なる色彩操作ではなく、藤田が何年も研究と実験を重ねて生み出した“独自の技法”の到達点だ。油絵具に胡粉を混ぜる、下地を幾度も変えて試す、乾燥時間を記録し反射の状態を観察する――画家というより材料科学者に近い執念で、白の光学的質感を追い求めた。この探究心は「乳白色は偶然ではない。数学のように計算した結果だ」という藤田自身の言葉を裏付けている。藤田の白は天賦ではなく、膨大な試行錯誤の積層から生まれた、ひとつの“発明”である。

しかし、その完璧な白の表面に浮かぶ人物や静物は、精密な料理の盛り付けのように冷静でありつつ、どこかユーモラスで、時に微妙にズレている。表層の静謐な洗練の奥では、藤田の遊び心、即興性、そして多文化混成の雑味が蠢いている。日本画の線の感覚、フランスのアカデミズム、ルネサンス的構図、西洋近代の光学理論――異質な技法と文化要素は、一皿のカツカレーに盛られた具材のように衝突し、溶け合い、新たな秩序を形成する。乳白色の背景は、まさに“プレート”として異文化の要素を同時に際立たせる舞台なのだ。

出典:Artpedia/藤田嗣治 「日本人形と少女」

さらに藤田の画面には、しばしば小さな仕掛けが潜む。人物の視線の角度のわずかなずれ、装飾の過剰な細密さ、背景に忍ばせた冗談めいた変形モチーフ。緊密な描写の中に即興的な「遊び」を挟み込むことで、整いすぎた画面に呼吸と驚きを導入している。これはカツカレー的美学――均質化ではなく異質の混在が新たな魅力を生むという原理――の絵画的実践そのものである。

その遊び心の背後には、藤田の国際的移動と異文化への鋭い感受性がある。日本での修行、フランスでの成功、戦中の活動、そして戦後のメキシコ・アメリカ滞在、最晩年のカトリックへの帰依。生活史の多層性が藤田の画面に“内と外”両方の視線をもたらした。彼の描く女性や子どもたちは無垢でありながらどこか冷たく醒めた光を宿す。可愛らしさの奥に微細な不穏さが混じり込むのは、文化の境界線に立ち続けた者だけが持つ距離感による。ここには国吉康雄にも通じる批評性が流れ込んでいる。


そして避けて通れない――“白の美学”が崩壊する戦争画

出典:Artpedia/藤田嗣治 「シンガポール最後の日」

しかし藤田のキャリアのなかで、この精緻な「白の美学」が根底から揺らぐ瞬間がある。それが戦争画である。

アンバー系の落ち着いた色調で描かれた巨大画面――それは藤田のこれまでの華やかな白、メキシコ期のシックな色彩世界とまったく異質だ。コントラストを抑え、光を抑え、華やぎを排した画面には、泥の匂い、死の重さ、現場の湿気が沈殿している。そこには、藤田の美学を裏切るような、いや、美学をいったん自ら破壊しなければ描けなかった何かがある。

ここで藤田は、これまで必死に積み上げた白の発明を手放し、むしろ“美の構造そのもの”を崩しにかかっている。
その理由は技法的な必要性だけではない。画家としての倫理のきしみが、画面に露呈してしまったのだ。

国家からの要請という逃れがたい政治状況の中で、藤田は「描かざるを得なかった」。それは生存のための選択でもあり、芸術家の誇りと良心を同時に傷つける選択でもあった。だが興味深いのは、藤田の描いた戦争画は「美しい英雄像」のプロパガンダとしては異様なほど不向きな点である。
出血は抑えられながらも、死体は事務的に積まれ、兵士の目は虚ろで、画面は静かすぎるほど沈黙している。それはまるで藤田が「美しく描くことを拒否することで、現実のむごさそのものを絵に刻みつけた」ようにすら見える。

この瞬間、陶器のような白い表面に亀裂が走り、美の構造全体が軋む音がする。藤田の白は、無垢であるからこそ傷つきやすく、そして一度傷が入ると深くひび割れる。そのひび割れこそ、戦争画の画面を覆う暗いアンバーの層なのだ。

この時期の藤田には、もう“理想に向かう芸術家像”はない。
代わりにあるのは、「時代の暴力の中でもなお、描くしかなかった」芸術家の諦観と裂け目である。

この諦観は、単なる屈服ではなく、むしろ“描くことで生き延びようとした”涙ぐましい衝動の証でもある。美学を捨て、信念を一度壊してでも、筆を取らなければならなかった――その矛盾の深さが、戦争画の陰鬱な光に宿るのだ。

そして戦後、藤田が日本を離れ、沈黙し、最後にカトリックへ向かったことは、この“美の崩壊”を背負った画家が、再び白を取り戻すための長い祈りの旅だったとも読める。最晩年の宗教的な白は、戦前の軽やかな白とは異なり、贖罪と祈りの白、ひびの上から塗り直した白である。

出典:Artpedia/藤田嗣治 「アッツ島玉砕」

藤田嗣治が現代になお響く理由

藤田の作品が現代の私たちに強い引力を持つのは、技術の洗練、遊び心、多文化的混成、そして美と痛みの共存という相反する要素が、一枚の画面に折り重なっているからだ。乳白のソースの下に、ほのかに刺激のあるスパイスが潜むように、藤田の絵は優美さと罪深さを同時に味わわせる。

  • 研究と執念によって発明された陶磁器のような白
  • その白の上を漂うユーモアと即興
  • 異文化が混ざり合うカツカレー的雑味
  • そして戦争によって刻まれた深い亀裂
  • さらにその亀裂から再び白を取り戻そうとした祈り

この複雑なレイヤーこそが、藤田の絵画を今日においても“美しく、危うく、そして忘れがたいもの”にしているのである。

藤田嗣治ってどんな画家?代表作品や展示美術館もあわせて詳しく解説! – FROM ARTIST

出典:Artpedia/藤田嗣治 「猫と女性」

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