ジョン・コルトレーン《Africa/Brass》――カツカレーカルチャリズムの始まりとしての音響宇宙

音楽

《Giant Steps》という限界点の先で

ジョン・コルトレーンが《Africa/Brass》を録音した1961年、彼はすでに“奏法”だけでは語り尽くせない地点に到達していた。《Giant Steps》で展開された高速転調の連鎖、三全音周期による旋回構造は、同時代のジャズ理論を根本から変えるほどの衝撃を持ちながら、コルトレーン本人にはむしろ「ここで一度終わってしまった」ような臨界点をもたらした。拍ごとにめまぐるしく変わるハーモニーの構造は、彼にとって“音楽の高速演算”そのものであり、肉体と意識を同じ方向に加速させる修行のような過程だった。しかし、加速度の果てにあったのは新たな自由ではなく、「別の地平に向かわなければならない」という必然であった。

その直後、コルトレーンはマイルス・デイヴィスのバンドに戻り、《Kind of Blue》でモード・ジャズの静謐な空間を体験する。コードがほとんど変化しない広大な場に放り込まれ、彼は速度や複雑さではなく、ひとつの音の伸び、フレーズの呼吸、時間の縫い目そのものを感じ取る演奏に向き合った。和声の総量を極限まで削ぎ落とすことで逆に自由が増すという逆説を目撃し、コルトレーンの内部ではそれまでの複雑な体系が一度解毒され、新しい方向へ向かうための“空白”が生まれた。

この二つの経験―《Giant Steps》の飽和と、モードの広がり―が混ざり合う地点で、コルトレーンは“音をどう扱うか”という哲学を根本から組み替える必要に迫られる。ハーモニーでも、即興技法でも、ソロの構造でもなく、さらに深い部分、つまり音の根源や生成の力そのものへと触れようとし始める。そこから《Africa/Brass》が生まれることは、必然だった。

《Africa/Brass》――異質なエネルギーが“並置”される現場

《Africa/Brass》で起こっていることを単純に“アフリカ回帰”と呼んでしまうと、この作品を覆う巨大な音響的密度の核心を取り逃してしまう。ここで鳴っているのは、文化的な回帰ではなく、むしろ文化の掛け合わせによって生まれた“未知の音の生命体”であり、さまざまな要素が混じり切らないまま並置されることで生じる張力そのものだ。

大編成の管楽器は、精密なハーモニーを奏でるというより、巨大な音響ブロックとして響く。低音域の重厚な積層、ドルフィーによる異様に分厚いオーケストレーションは、西洋的な和声の精緻さではなく、“音の質量”を作り出すことを目的としているかのようだ。そこには規則的な循環を感じさせるアフリカ的リズムの胎動があり、同時にモードの広大な空間性が折り重ねられ、さらにコルトレーンのソロがスピリチュアルな上昇欲求をたたえて突き抜けていく。

この異質性の並置は、完全に融合しない。むしろ、混ざりきらないことこそが音響の推進力になっている。西洋的な編成の“硬さ”と、アフリカ音楽の“循環”、モードの“静的広がり”、コルトレーンの“熱の垂直性”が互いに干渉しつつ、しかし一つに溶けあわず、摩擦熱を生み続ける。ここにこそカツカレーカルチャリズムの本質が現れている。さまざまな文化要素が一皿に並置され、それぞれの個性を保ったまま共存し、互いの差異がエネルギーになる構造。この作品は、その最も早い段階において、コルトレーン自身が“混成のエンジン”を動かした瞬間であった。

時間の層、文化の層、熱の層――《Africa/Brass》の多層構造

《Africa/Brass》がカツカレーカルチャリズムの始まりとして重要なのは、単に要素が多元的だからではなく、それらの要素が“時間的にも文化的にも異なる層”を持つからである。作品の中には、遥か昔のアフリカ的原型があり、その上にアメリカ黒人音楽の歴史が乗り、さらにモード・ジャズという新しい言語が付加され、そこにクラシックの編成技術と前衛的な音響設計が重なる。そして一番上の層で、コルトレーン自身の精神的な上昇が全体を貫くように響く。これらの層は垂直方向に積み重なりながら、完全には溶けない。

この“層の残存”が、文化的混成=カツカレーの核心と響き合う。
カツカレーを構成する要素――ご飯、カレー、カツ――は混ざることなく、ひとつの皿で並置され、それぞれの異なる食感・香り・歴史的背景までもが共存する。融合ではなく重ね合わせ。単一化ではなく多層化。《Africa/Brass》も同じ構造を持ち、異なる時代と文化のレイヤーがそのまま音となって息づいている。

同時にこの作品は、後期コルトレーンへの熱の流れを決定づけている。
《Sun Ship》や《Meditations》の激しい奔流は、大編成の《Africa》の奥で既に胎動している。そこでは音がひとつの巨大な生命体となり、個々のプレイヤーの技術を超えた“音響の生態系”が動き出す。特定のコードやテーマに基づく進行ではなく、音そのものの欲求、上昇しようとする力、増殖しようとする力が音楽の中心にある。これは《Giant Steps》の理知的構造主義とも、モードの静けさとも異なる、第三のエネルギーである。混成された文化的要素が互いに共鳴し合い、その摩擦から生じる熱が音楽を推し進める。この“複数の起源が同時に燃える”状態こそ、コルトレーンにおけるカツカレーカルチャリズムの最初の発火点であった。

《Africa/Brass》が開いたもの――混成が“新しいジャンル”になる瞬間

《Africa/Brass》のもっとも特異な点は、この作品が“アフリカ音楽とジャズの融合”といった単純な合成物ではなく、それ自体が独立したジャンルのように振る舞っていることである。人種的・文化的・民族音楽学的な観点から解釈できる側面もあるが、それだけで説明できない。なぜなら、この作品は既存の文化や音楽スタイルを参照点として持ちながら、結局はどこにも回収できないからだ。

カツカレーが「日本の家庭料理」として定着したように、そして“インド料理(イギリス経由)×洋食×日本的食文化”が混ざりきらないまま一皿となって独自のアイデンティティを獲得したように、《Africa/Brass》も複数の文化の掛け合わせから生まれながら、最終的には“コルトレーンの音響宇宙”という固有の領域へと変貌している。この作品以降、コルトレーンは文化や技法や歴史の引用を、常に組み合わせながら前進するようになる。《A Love Supreme》では宗教的精神性が、《Ascension》では前衛的エネルギーの渦が、《Interstellar Space》では音そのものの純化が、そして《Sun Ship》では熱の垂直性が前景化するが、そのすべてに《Africa/Brass》で獲得された混成の原理が働いている。

したがって《Africa/Brass》は、コルトレーンの中で“混成の論理”が最初に有機的に働いた作品であり、彼がその後歩み続ける音響的宇宙の入口であったと言える。ここで始まるのは、単一文化への回帰ではなく、複数の文化・技法・歴史・精神性を重ね合わせ、その摩擦から新しい形態を生み出そうとする運動であり、その運動こそカツカレーカルチャリズムの精神である。

《Africa/Brass》は、まさにその“最初の一皿”であった。複数の要素が混ざりきらずに共存し、互いの差異が熱を生む。その熱が音響の生命体を生み、コルトレーンをさらに深い領域へと押し出す。こうして彼の音楽は、単なるジャズの進化ではなく、文化混成の生成原理そのものへと接近していったのである。

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