カツカレーカルチャリズム画家列伝59 ~ポルケ 編

アート

宙づりの絵画 ― シグマー・ポルケと疑いの居場所

出典:Artpedia/シグマ―・ポルケ

シグマー・ポルケは、具象と抽象、真と偽、意味と無意味の境界を意図的に不安定化し続けた、戦後ドイツ美術を代表する画家である。彼の作品は一見すると読み取りにくく、時に「何を描いているのか分からない」「思想先行で絵が弱い」と評されることもある。しかし、それでもなおポルケが長く支持されてきた理由は、彼が主題や様式の新しさ以上に、絵画が成立する前提そのものを更新してしまった点にある。

ポルケの初期作品には、新聞写真や広告イメージを参照した具象的モチーフが多く見られる。ラスター(網点)を強調した描写は、対象を鮮明に伝えるどころか、むしろ像を不確かにし、「私たちは何を見ているのか」という問いを画面に残す。ここで行われているのは社会批評というより、イメージそのものへの懐疑である。描かれているのは対象ではなく、対象がどのように複製され、流通し、信じられてしまうかというプロセスだ。

出典:Artpedia/シグマ―・ポルケ

一方、1980年代以降の抽象的作品群では、ポルケは樹脂、漆、鉱物顔料、化学物質などを用い、絵画表面を制御不能な現象の場として扱う。色は沈殿し、変色し、にじみ、作者の意図から逸脱していく。だがこれは表現の放棄ではない。むしろ、作者の主体性や判断そのものを信用しないという態度が、制作の原理として徹底されている。

具象と抽象は、ポルケにおいて対立項ではない。どちらも同じ疑問から生まれている。すなわち、意味は本当に信頼できるのか、視覚は世界を正確に捉えているのか、という問いである。具象では意味が崩され、抽象では意図が崩される。結果として画面には、結論に至らない宙づりの状態が残される。

出典:Artpedia/シグマ―・ポルケ

この「結論を出さない」態度は、しばしばデカルト的懐疑と比較されるが、ポルケは疑いの先に確実性を置かない。むしろ彼は、疑いを持続させること自体を絵画化した。これは、フッサールの現象学におけるエポケー ― 判断停止の態度 ― と深く通底している。否定も肯定もせず、反発しないまま現象を受け止める。その柔らかなクッションのような態度が、ポルケの画面には物質的に埋め込まれている。

この姿勢が可能だった背景には、戦後ドイツという特殊な環境がある。ナチズムという「明確すぎる結論」を経験した社会では、断言や単純な物語への不信が深く刻まれた。ヨーゼフ・ボイスの存在は、「分からないものを分からないまま受け止める」態度を美術制度の中に根付かせたが、ポルケはその環境に安住することなく、救済や物語の再構築すら拒否した。彼は、信じられない状態をそのまま生きることを選んだのである。

こうした絵画は、現代において驚くほど切実な意味を帯びている。SNSや生成画像に囲まれ、真偽の判断が常に求められる現在、疑うことはもはや特別な批評態度ではなく、空気のような前提になった。ポルケの絵画は、「正しさ」を示さない代わりに、反応を遅らせる感覚を観る者の身体に与える。すぐに怒らなくていい、すぐに決めなくていい、という余白。それは精神的なオアシスとして機能しうるし、その存在自体が、判断と断言を強要する世界への静かな批判にもなっている。

この点でポルケの絵画は、癒しやポジティブさを提供するわけではない。むしろ、肯定もしないし、否定もしない。ただ、宙づりの状態を保つ。だがその保留こそが、過剰な摩擦から心を守り、思考を延命させる。現象学的態度が理論としてではなく、視覚体験として提示されているところに、彼の絵画的な強度がある。

出典:Artpedia/シグマ―・ポルケ

ここで少し、カツカレーカルチャリズム的な視点を添えてみたい。カツカレーとは、異なる文化要素が混在し、純粋性や正統性を主張しないまま、「なぜか成立してしまっている」料理である。ポルケの絵画もまた、純粋な抽象でも、明快な批評でもない。高尚さと低俗さ、科学とオカルト、理性と冗談が同じ皿に盛られている。その雑種性と余剰感覚こそが、彼の作品を息苦しい理論から解放し、どこか生々しく、食べられるものにしている。

シグマー・ポルケは、答えを与える画家ではない。彼が提示したのは、答えを急がなくてもよい場所である。具象か抽象か、意味があるかないか、正しいか間違っているか。そうした二項対立が崩れ落ちた地点で、なお絵画は成立しうる。その事実を、彼は絵画そのものの不安定さによって示した。

だからこそ、ポルケの作品は今も伝わりにくく、同時に、強く支持され続けている。分かりやすさを拒否しながら、見る者の生存感覚に静かに寄り添う。その宙づりの絵画は、今日においてなお、確かな居場所をつくり続けている。

出典:Artpedia/シグマ―・ポルケ

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