
成功の時代としての80年代
デヴィッド・ボウイの1980年代は、一般的には「成功の時代」として語られる。『Let’s Dance』を起点とする世界的ヒット、巨大なツアー、MTV時代の象徴的なイメージ。これらは確かに事実であり、ボウイがポップ・アイコンとして最大の可視性を獲得した時期でもあった。しかし、この「成功」は、70年代の変化とは質を異にしている。70年代のボウイにとって変化は、生き延びるための必然であり、自己を更新せざるを得ない内発的な運動だった。80年代において変化は、期待され、要請され、遂行されるべき使命へと変わる。
この転位は、ボウイの表現が劣化したという単純な話ではない。むしろ、彼は80年代という時代の音、技術、身体感覚を正確に理解し、それにきわめて巧みに対応している。問題は、その対応の仕方が、かつての「賭け」とは異なる地点にあったということだ。

『Let’s Dance』と時代の音への最適化
『Let’s Dance』は、80年代ボウイを象徴する作品であると同時に、彼のキャリアにおける大きな転換点でもある。ナイル・ロジャースのプロデュースのもとで作られたこのアルバムは、R&B、ファンク、ダンス・ポップの語法を全面的に導入し、当時のグローバル・ポップの中核に位置する音像を獲得した。
ここで重要なのは、ボウイが「迎合」したのではなく、「最適化」したという点である。ナイル・ロジャースは、アーティストの主体を消し去るプロデューサーではない。むしろ、主体と時代の音を翻訳的に接続する編集者に近い存在である。マドンナやマイルス・デイヴィスとの仕事に見られるように、彼は「誰であるか」を変えずに、「今どこに置くか」を変える。



『Let’s Dance』のボウイもまた、70年代の実験性を引きずった異物としてではなく、80年代の音の中に自然に配置されている。均質でグリッド化されたリズム、シンセサイザーとカッティング・ギターが支配する音像、身体を即座に反応させる明確なビート。これらは、もはや個人の呼吸や揺れに依拠する音楽ではなく、機械的時間に同期する音楽である。
カツカレーカルチャリズム的に言えば、ここで供されているのは、誰もが美味しいと理解できる豚骨醤油カツカレーである。スパイスは抑えられ、味は説明可能で、再現性が高い。その完成度は非常に高いが、偶発性や事故の余地はほとんど残されていない。
リズムの変化と主体の距離
80年代ボウイを特徴づけるもう一つの要素は、リズムの質的変化である。打ち込み的で、MIDI的な時間感覚は、音楽を身体の延長から切り離し、外部化する。70年代のボウイの声が、リズムの中に「浸透」していたとすれば、80年代の声は、リズムの上に「配置」されている。
この変化は、主体の後退としても読める。ボウイは叫ばない。声は前景化されず、音像の一部として機能する。これは抑制であると同時に、時代への適応でもある。MTV的視覚文化の中で、歌は身体全体のパフォーマンスの一要素となり、声そのものが実存の証明である必要はなくなった。
結果として、80年代のボウイには、ある種の距離感が生まれる。音楽は洗練され、イメージは強化されるが、そこには70年代に見られた切実さや危うさは希薄である。この距離感こそが、80年代ボウイを「うまくやっているが、どこか遠い存在」と感じさせる理由だろう。

変化の制度化と外圧としてのモダニズム
80年代において、ボウイの「変化」は、もはや驚きではなく、前提条件となる。次に何をするのか、どんな姿を見せるのか。それが常に問われる。ここで変化は、解放の手段ではなく、制度化された期待へと変質する。
これは、ボウイ自身が築き上げたモダニズムの帰結でもある。変化し続ける主体、更新される自己という物語は、70年代には強力な創造の原動力だった。しかし80年代には、それがブランド化し、外部から要求される機能となる。変化しなければならない、更新し続けなければならないという圧力が、内発性を侵食する。
カツカレーカルチャリズムの文脈で言えば、80年代のボウイは「何を出しても一定以上売れる店の料理人」である。味を変えることはできるが、店を閉める自由はない。ここでの変化は、冒険ではなく運営であり、実験ではなく調整である。
80年代の意義と限界
それでも80年代のボウイを単なる停滞期として切り捨てることはできない。この時期に彼は、時代と同期する能力、外部の音を自らのものとして扱う編集力を徹底的に磨いた。それは後年、『Outside』や『Heathen』、そして『Blackstar』へとつながる重要な技術的・感覚的蓄積となる。
同時に、この時代の限界も明確である。変化が使命となったとき、変化は自己検証の力を失う。主体は更新され続けるが、その更新が何のためなのかは曖昧になる。80年代の終わりにボウイが感じた行き詰まりは、この構造的問題に由来するものだろう。
80年代は、ボウイが最も社会的に成功し、最も広く共有された時代であると同時に、彼自身のモダニズムが制度化され、解体の必要性が静かに準備されていく時代でもあった。その意味で、この時期は失敗でも裏切りでもなく、次の段階に進むために不可避だった過程である。



コメント