混ぜすぎた美術史 4 ~ グレコ

アート

エル・グレコ(1541–1614, ギリシャ/スペイン)

「ねじれた霊性とカツカレー」

エル・グレコの絵を見ると、まず目を奪われるのは人体の異様なねじれだ。指先や衣の襞は炎のように揺らめき、人物は空へ引き上げられるように伸びていく。自然主義の理想美から逸脱したこの歪みは、単なる奇抜さではない。人間が神を感じる瞬間の恍惚や精神の高揚を視覚化するための技法だった。重力や遠近法をねじることで、宗教的陶酔を画面に焼き付けているのである。

出典:Artpedia/エル・グレコ『ラオコーン』

だがこの奇妙な造形は、突然現れたものではない。グレコはギリシャのクレタ島でイコン画家として出発し、ヴェネツィアで色彩を学び、ローマでマニエリスムに触れ、最終的にスペインのトレドで宗教画家として完成した。つまり彼の絵は、ビザンツ、イタリア・ルネサンス、スペイン神秘主義という異なる文化が混ざり合って生まれた表現だった。複数の文化が一枚の画面の中で溶け合うその姿は、どこかカツカレーの皿を思わせる。

人体の誇張されたポーズは、現代の漫画やアニメの表現とも響き合う。例えばジョジョの奇妙な冒険に登場する独特のポーズ、いわゆる「ジョジョ立ち」は、関節の可動域を超える誇張によって人物の気迫や緊張を伝える。作者の荒木飛呂彦も古典絵画から多くを学んだと語っているが、人体のねじれや動勢によって精神状態を表すという発想は、グレコの表現とどこか共通している。


出典:Artpedia/荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険』

この「場違いな誇張」は、カツカレーの皿にも似ている。とんかつ、カレー、白米、福神漬け――合理的に考えれば奇妙な組み合わせでも、実際に口にすると不思議な調和が生まれる。グレコもまた人体と空間を歪ませることで、写実を超えた霊的リアリティを立ち上げた。不調和を抱えながら新しい調和を生む逆説的な力、それがグレコの表現とカツカレー的発想の共通点だ。

ルネサンスの調和的自然主義と比べると、グレコの精神はむしろ中世ゴシックの霊的高揚に近い。人物は尖塔のように天へと伸び、色彩は炎のように揺らめく。画面全体が上昇するエネルギーを帯び、信仰の熱情そのものが形になったかのようだ。

出典:Artpedia/エル・グレコ『オルガス伯の埋葬』

こうした歪みの美学は、後の表現主義にも強い影響を与えた。内面の激情を形と色にねじり込み、「不調和が新しいリアリティを生む」という発想は、グレコの時代にすでに試みられていたのである。

グレコのねじれた身体、文化の混成、霊的な高揚――それらは違和感を抱えながらも、そこから新しい美を生み出す創造の姿を示している。彼は一枚の画面という皿に、異なる文化と霊的情熱を盛りつけ、ねじれた身体をスパイスとして加えた。そこに生まれた味は、奇妙でありながら忘れがたい。

出典:Artpedia/エル・グレコ『第5の封印』

混成は偶然ではない

ヒエロニムス・ボス、ジュゼッペ・アルチンボルト、ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ、そしてエル・グレコ。
作風も地域も異なる四人の画家だが、そこには確かな共通点がある。

彼らが、秩序の揺らぐ時代のただ中に立っていたということ。そして、表現の中で「混ぜる」ことを恐れなかったということである。

もともとヨーロッパの絵画は寓意的な世界を内包していた。
物には意味が宿り、光には象徴があり、現実と超越は重なり合っていた。

出典:Artpedia/エル・グレコ『ビルバオの受胎告知』

しかし十五世紀の終わり、コロンブスの航海によって新大陸が知られ、さらにマゼラン艦隊の世界周航によって世界の広がりが実感されると、ヨーロッパの世界観は大きく揺らぎはじめる。

そこへ、異文化や新しい知識、都市の欲望が流れ込む。
世界は単層ではなく、多層的なものとして現れはじめる。

このとき彼らが生み出した表現は、奇抜な逸脱ではなかった。
むしろそれは、揺らぎはじめた世界に対する、もっとも正直な応答だったのである。

混成は偶然ではない。
それは時代の必然だった。

出典:Artpedia/エル・グレコ

そして興味深いのは、この現象がヨーロッパだけで起きていたわけではないという点である。
ほぼ同じ頃、海の向こうでもまた、宗教的想像力と装飾性、写実と誇張が交差しはじめていた。

秩序が揺らぐとき、文化はそれぞれの方法で「混ぜる」。 では、日本ではどうだったのか。
次はその話である。

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