混ぜすぎた美術史 12 ~ 河鍋暁斎

アート

河鍋暁斎(1831–1889、日本)

混成の爆発と江戸の終わり「暴れるカツカレー」

江戸後期から幕末、そして明治初期にかけて活動した画家、河鍋暁斎。
日本美術史のなかでも、これほど自由で、これほど混沌としたエネルギーを持つ画家は多くない。

出典:Artpedia/河鍋暁斎 「新富座妖怪引幕」(部分)

暁斎はしばしば「奇想の画家」と呼ばれる。
だが、その魅力は単なる奇抜さではない。むしろ彼の本質は、異なる文化や様式を自在に横断し、それらを一つの画面のなかで衝突させながら成立させてしまう、圧倒的な混成の力にある。

出典:Artpedia/河鍋暁斎 「新富座妖怪引幕」

興味深いことに、暁斎は決して型破りな教育を受けたわけではない。
むしろその逆である。彼は幼いころから狩野派のもとで厳格な修行を受け、伝統的な絵画技術を徹底的に叩き込まれている。つまり彼は、江戸絵画のもっとも正統的な技術体系を身につけた画家だった。

出典:Artpedia/河鍋暁斎 「地獄極楽めぐり図」

しかし、その完璧な技術は、やがて彼の作品のなかで自由に解体されていく。
仏画、歴史画、風俗画、妖怪画、戯画、風刺画。さらには宴席で即興的に描かれる奔放な作品まで、暁斎の画題は驚くほど広い。そこには中国絵画の筆法、狩野派の装飾性、浮世絵の軽やかさ、民間信仰の妖怪世界、さらには西洋画の遠近表現までもが入り込んでいる。

出典:Artpedia/河鍋暁斎 「豊干禅師と寒山拾得図」

普通ならば統一が崩れてしまうほどの要素が、暁斎の画面では同時に存在する。
まるで一枚の絵が、文化そのものの交差点になっているかのようだ。

出典:Artpedia/河鍋暁斎 「猪に乗る蛙」

この混成は偶然ではない。
暁斎が生きた幕末という時代そのものが、巨大な文化の衝突の時代だったからである。鎖国体制が揺らぎ、西洋の知識や図像が流入し、政治体制は崩れ、社会は急速に変化していた。江戸という都市の秩序そのものが、大きく揺れていたのである。

出典:Artpedia/河鍋暁斎 「骸骨の生活」

暁斎は、この混乱を避けるどころか、むしろ面白がるように作品へ取り込んでいった。
彼の絵には、骸骨が踊り、鬼が酒を飲み、僧侶が笑い、妖怪が街を歩く。人間と怪物、宗教と笑い、恐怖と滑稽が同じ画面のなかで共存している。そこには恐怖よりも祝祭があり、秩序よりも混沌がある。

出典:Artpedia/河鍋暁斎 「地獄太夫と一休」

この感覚は、江戸中期の伊藤若冲や曽我蕭白が示した想像力の爆発ともどこかで響き合う。
若冲が自然観察を極限まで突き詰め、画面の内部に生命の宇宙を作り上げたとすれば、蕭白は筆の勢いで既存の絵画秩序そのものを揺さぶった。暁斎は、その二つの系譜を受け継ぎながら、さらに都市文化のエネルギーを加えていく。

出典:Artpedia/河鍋暁斎 「狂斎画譜」

その結果、彼の絵は宗教、民俗、笑い、政治風刺、妖怪、都市文化といった要素が入り混じる、巨大な視覚の祝祭となった。
都市の想像力そのものが、一枚の画面のなかで騒いでいるようにも見える。

出典:Artpedia/河鍋暁斎 「名鏡倭魂 新板」

言い換えれば、暁斎の絵画は江戸文化そのものが一皿に盛り付けられた状態である。
英雄も妖怪も仏も酒宴も、風刺も異国文化も、すべてが同じ皿の上で騒いでいる。まるで巨大なカツカレーの皿が、宴会の勢いでひっくり返ったかのようだ。

出典:Artpedia/河鍋暁斎 「美女の袖を引く骸骨たち」

しかし不思議なことに、その混乱は決して崩壊ではない。
むしろそこには、文化が混ざり合うことの楽しさがある。雑多さそのものを肯定するエネルギーがある。

そしてそれは、江戸という都市文化が終わろうとしていた時代に現れた、最後の大きな視覚の祝祭でもあった。彼は皿に、妖怪の怪異と笑いの風刺、そして祝祭のような生命力を盛ったのだ。

出典:Artpedia/河鍋暁斎 「観世音菩薩図」

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