カツカレーカルチャリズム画家列伝27 ~タマヨ 編

アート

ルフィーノ・タマヨ ― 混成文化の〈静かな火〉

ルフィーノ・タマヨは20世紀メキシコ美術において、きわめて独自の位置を占める画家である。リベラ、シケイロス、オロスコに代表される巨大な壁画運動が政治的・社会的メッセージを担っていた時代に、彼はその潮流から距離を置き、絵画の深層へと静かに潜り込んでいった。その選択は決して逃避ではなく、むしろメキシコ文化が長く抱え続けてきた複雑な混成性――先住民文化、スペイン植民文化、アフリカ系文化、カトリックと土着信仰の重層構造――を自身の内側から再精錬し、独自の造形へと昇華する営みであった。

1899年、オアハカに生まれたタマヨは、幼少期から先住民的造形感覚と市場文化の鮮烈な色彩に囲まれて育った。夜明け前の市場に並ぶ果物の赤紫、土器の匂い、祭礼の太鼓の響き。後年、「私の色彩はオアハカの果物市場の朝の匂いから来ている」と語った言葉は、単なるノスタルジアではなく、身体の奥に沈殿した文化記憶がタマヨの絵画を支えていたことを示している。彼は10代のころ、親族が営む果物店を手伝いながら周囲の色彩を飽きるほど眺め続けたといい、その時間が後の作品に漂う「熟した光」の質感を生んだという証言も残されている。

出典:Artpedia/ルフィーノ・タマヨ

メキシコ革命後、国家建設の高揚に包まれた1920年代、芸術家には社会的使命が求められ、壁画に政治理念を描くことが求められた。しかしタマヨはその潮流に本能的な違和を覚えた。政治家から壁画制作を依頼された際、「私はメッセージではなく感覚を描きたい」と答えたというエピソードは有名である。タマヨにとって“民族的なるもの”は、理念として掲げる標識ではなく、内側から自然ににじみ出る層として存在するものだった。

1926年、タマヨはニューヨークへ渡航し、その後パリにも滞在する。パリで彼が受けた衝撃は二重の性質を持っていた。一方では、モンドリアンやピカソに象徴される冷静で構成的なモダニズムの理性があり、他方では、トロカデロ民族学博物館で再会したメソアメリカ美術の呪術的な身体性があった。1920年代後半、タマヨがトロカデロを何度も訪れ、アステカの石彫の前で長い時間を過ごしていたという記録が残る。石彫の面の力強さに触れ、「ヨーロッパの抽象にも土の気配が必要だ」と語ったと伝えられる。

冷たい理性と土着的な熱、その二つの要素はタマヨの内部で完全に融合することなく、油と水が境界面で揺らめくような不安定さを保ったまま相互に影響しあった。この“混ざりきらない混合”こそが、タマヨの画面を特徴づける中心的構造となる。

代表作の一つである《動物》シリーズには、冷静な構成と土着文化の体温が共存している。幾何学的な形態の上に、土器のような量塊をもつ生物が置かれ、画面全体が赤紫の光を帯びてゆっくりと発光する。《叫ぶ女》シリーズでも、表現主義的な叫びの形象が示されながら、政治的プロパガンダの匂いは希薄で、むしろ第二次世界大戦期の不安や抑圧を吸い込み、宇宙的沈黙の気配が立ち込めている。ニューヨークのスタジオで制作していた際、夜間の空襲警報の音を聞きながら描いたといわれ、その「音の残響」が画面の張り詰めた空気に反映されているとも指摘されている。

タマヨの影の描き方は象徴的である。彼にとって影とは単なる暗部ではなく、色の背後に潜む「もう一つの光」であり、文化の層が互いに重なりあうことを示す視覚的痕跡であった。実際、晩年に「影は闇ではない。色の奥に潜む別の光だ」と述べており、その哲学は彼の絵画技法と深く結びついている。影が文化史の堆積を内側から照らし返す“輝きを宿した闇”となり、画面全体の静かな緊張を生み出している。

1940年代、ニューヨーク近代美術館(MoMA)はタマヨの個展を開催した。批評家の多くは彼を“国際的抽象画家”として扱ったが、タマヨ本人はその分類を快く思わなかった。ニューヨークでの生活は多様な刺激に満ちていた。地下鉄の広告、ジャズのリズム、ハーレムの雑踏、サンドイッチマンの派手な看板。しかしタマヨの自宅にはオアハカの織物や土偶が置かれ、どの環境の文化も排除することなく、同時に抱え込んでいた。彼にとって普遍性とは文化を削ぎ落とすことで到達する抽象ではなく、むしろ文化の地層へ深く沈み込み、その底から湧き上がる光をすくい取る行為だった。

出典:Artpedia/ルフィーノ・タマヨ

晩年、タマヨはメキシコ帰国後のインタビューで「私はメキシコの太陽を描いたのではない。太陽に照らされた私の内側を描いた」と語っている。民族性を表看板として掲げるのではなく、文化が体内に沈殿した層を掘り起こし、そこから普遍的な形を抽出しようとした姿勢がこの言葉に凝縮されている。

タマヨの作品が現代においても強い現在性をもつ理由は、まさにこの文化構造にある。現代アートでは、混成性、境界、移動、ハイブリディティといったテーマが中心にあるが、タマヨはそれらを理論化する以前の段階で、画面内部においてすでに実践していた。メキシコ文化自体が、カトリックと土着信仰の融合、スペイン語と先住民言語の交差、都市的意匠と民族衣装の併存といった「神仏習合的」な構造をもつことを考えるなら、タマヨの作品はその文化史が絵画という器に結晶したものとして読むこともできる。

また、彼の作品世界は、複数の文化をひとつの鍋で煮込みながらも完全に溶かしきらず、それぞれの粒子が互いを引き立て合う状態――いわば「カツカレーカルチャリズム」と呼べる混成の幸福感――とも響き合う。西欧モダニズムの構造性、メキシコの土着文化の呪術性、ニューヨークの都市の雑多さ、そしてオアハカの市場の匂いが、一つの器の中で静かに共存し、その境界をぼんやりと染め合っている。その“静かなマーブリング”をまとめあげるタマヨの感性は、文化が異質性を抱えたまま生成していくプロセスのアレゴリーとも言える。

タマヨの絵は静かである。しかしその静けさは単なる静止ではなく、文化の多層的記憶、異なる文明が接触する際に生じる軋み、個人の感覚が民族の歴史を通過する瞬間など、複数の時間がゆっくりと重なりあって発光する静寂である。彼の絵画を前にすると、文化がどのように生成されるかが視覚的・身体的に理解される。異質なもの同士が完全に融解することなく、しかし対立もせず、互いの境界を染めながら共存する。その〈静かな火〉のような文化の姿こそ、タマヨが世界に示したもっとも深い遺産である。

出典:Artpedia/ルフィーノ・タマヨ

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