モーリス・ドニ ― 「聖性」と「装飾」の交差点に立つ画家
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モーリス・ドニ ― 「聖性」と「装飾」の交差点に立つ画家
モーリス・ドニは、しばしば「ナビ派の理論家」として記される。しかし、その評価を象徴主義や宗教画の系譜に閉じ込めてしまうと、彼の思想と実践の射程を大きく狭めてしまう。むしろ彼は、近代絵画が「精神性」と「形式性」の二つの極に引き裂かれていく時代に、あえてその両者を同時に抱え込もうとした稀有な作家だった。彼の有名な定義、「絵画とは、主題が何であれ、色彩によって秩序づけられた平面である」は、形式主義的モダニズムの先駆的宣言として語られがちだが、その根底にはむしろ「宗教的秩序」への強い希求が潜んでいる。ドニにとって装飾とは祈りであり、平面とは儀式の場であった。彼は絵画を、世界の秩序を再び編み直すための精神的行為だと考えていたのである。
この「平面の思想」は単なる造形上の発見ではない。世界が急速に近代化し、共同体が希薄化し、宗教的象徴体系が力を失いつつあった時代に、彼は形態と色彩によって世界を再調律しようとした。ドニが平面性や装飾性にこだわったのは、抽象化への欲望ではなく、精神の居場所を形式によって確保するためだった。後のカンディンスキーやモンドリアン、あるいはグリーンバーグ的モダニズムが形式そのものの自律性へ向かったのに対し、ドニの平面には「祈り」が残されている。今日的に見れば彼の思想は、デジタル環境におけるスクリーンの“平面構成”にも通じる。現代のインターフェイスにおいて、形式は単なるデザインではなく、人々の感性や共同体の構造を支える見えない骨格として働いているからである。
ドニの初期作品に見られるナビ派的装飾性は、単なるデザイン趣味ではなく、キリスト教的象徴を日常生活の布地や壁面に溶け込ませる「信仰の生活化」の試みであった。聖と俗を分断してきた西欧美術の伝統に対する穏やかな反逆であり、むしろ東方的な「信仰の空間」への憧れが透けて見える。日本やイスラムの装飾芸術が持つ反遠近法的平面性への共鳴も感じられ、そこには後年のマチスやクリムトとも通じる「装飾による救済」の発想が萌芽している。装飾は信仰のかたちであり、模様とは祈りのリズムだったのだ。

ここで興味深いのは、ドニのこの近代化への憂いが、遠く離れた日本の夏目漱石と響き合う点である。漱石もまた、急速に流入する西洋的個人主義の肥大化、共同体の希薄化、合理主義の加速に深い懸念を抱いていた。『私の個人主義』に見られるように、彼は近代化がもたらす精神の不均衡を鋭く見抜き、内的成熟と誠実さによって“近代の裂け目”を埋めようとした。ドニと漱石が向かった方向は異なる。ドニは宗教的象徴体系の再活性化へ、漱石は内面的個の確立へ。しかし、近代化が人間を孤立化させ、精神を支える基盤を浸食していくことへの不安を共有していたという点で、二人の問題意識は驚くほど近い。形式と祈りの再統合を目指したドニ、個と共同体の均衡を目指した漱石。両者は異なる道から、同じ時代の精神的危機を照射したのである。
やがてドニはカトリック芸術の刷新運動に身を投じ、教会装飾や壁画制作に深く関わるようになる。ここでも彼の「聖性」は単なる信仰の表現ではなく、光・形・音が共鳴する総合芸術的空間を志向していた。世紀末からアール・ヌーヴォー、さらにはモダンデザインへと連なる「総合的な感性の潮流」と同調し、彼のアトリエ・ド・サン=ポールでは、建築・ステンドグラス・壁画・家具などの協働制作が行われた。それは信仰と生活、芸術と労働を統合し、宗教共同体の再構築を目指す実験の場でもあった。ワーグナー的総合芸術に通じる理念であると同時に、後のバウハウスが掲げる協働精神の萌芽さえ感じられる。
この「総合性」こそ、現代において最も再評価すべきドニの遺産である。今日、アーティストたちはデジタル環境で共同制作を行い、オンライン空間に「感性の共同体」が形成されている。ドニが求めた「芸術を通じた信仰共同体」は、変容した姿でネットワーク型創造の理想として蘇っている。装飾や形式、信仰や祈りという語を、デジタル時代の「共有」と「共感」の構造に読み替えてみれば、ドニの構想は驚くほど現代的であることがわかる。
もしこの文脈を「カツカレーカルチャリズム」的に読み直すなら、ドニはまさに「信仰」と「形式」、「個人」と「共同体」、「装飾」と「精神」を一枚の絵画の中で煮込み、多文化的・多層的な意味が同時に共存する空間をつくり出した作家だと言える。純粋抽象へ至る直前の時代に、彼は「祈るように描く」ことと「構成するように祈る」ことを同時に追求した。宗教と美術の境界を越えて、異なる価値体系を受け入れ、融解させるその姿勢は、後のカンディンスキーやモンドリアンの精神主義的抽象にもつながる。ドニの形式主義は造形の問題に留まらず、近代のなかで揺らぐ人間の精神的秩序をもう一度形として立ち上げる試みだった。 すなわちモーリス・ドニは、近代美術史の中で「祈りと秩序」を媒介する稀少な画家であり、西欧的二項対立を越えた「和解の画家」として再び語られるべき存在である。形式は精神の居場所であり、装飾はその祈りの言語である。ドニの信念は、宗教芸術の枠を超えて、今日の私たちが生きるスクリーンの平面と、そこに投影される心のあり方の双方に、静かに息づき続けている。
より詳しい作品解説 モーリス・ドニ-主要作品の解説と画像・壁紙-



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