ボウイの余剰と浸透圧

グラムという過剰 ― ジギー・スターダストのカツカレー性
1970年代初頭のデヴィッド・ボウイは、しばしば「変身の人」として語られる。ジギー・スターダストという異星的なキャラクターをまとい、グラム・ロックの煌びやかな衣装と性的越境を武器に、ロックの舞台そのものを書き換えた存在として理解されることが多い。しかし、この時期のボウイの特異性は、単なるキャラクター造形や視覚的過剰にとどまらない。音楽的にも、思想的にも、そして生き方のレベルにおいても、彼はすでに「回収されきらない余剰」を大量に抱え込んでいた。
グラム・ロックはしばしば即物的で消費的なスタイルと見なされるが、ボウイのグラムは、そうした単純化を拒む。『The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars』において展開される楽曲群は、キャッチーなメロディと明確な構造を持ちながらも、終末論的物語、ジェンダーの撹乱、自己崩壊の予兆といった重層的な意味を孕んでいる。ここには、分かりやすい快楽としての「カレー」だけでなく、異質な具材が過剰に投入されたカツカレーの状態がある。
カツカレーカルチャリズムの文脈で言えば、70年代初期のボウイは、毎回ルーも具も変えながら、なおかつ「これはカレーである」と言い切る強度を持った料理人だった。ロック、演劇、SF、仏教的世界観、両性具有的身体表象、そしてポップ・ソングの形式が、互いに溶けきらないまま同一の皿に盛られている。その溶けなさ、回収されなさこそが、この時期のボウイの豊かな余剰性を生んでいた。

逸脱の表明と回収不能性 ― 価値の過剰が生む余白
ボウイが70年代に示した価値観は、当時の社会規範から見て明らかに逸脱していた。バイセクシュアルであることの公言、アンドロジナスな身体表現、東洋思想への傾斜、自己を固定しないアイデンティティの提示。それらは単なる話題作りではなく、彼自身の存在様式そのものだった。
重要なのは、これらの価値が当時、完全には理解も消費もされていなかった点である。ボウイは常に時代の少し先に立っていたが、その「先」はすぐに追いつかれることはなかった。結果として、彼の作品とパーソナは、社会的に回収されない部分を多く残したまま流通することになる。この回収のされなさが、70年代ボウイの音楽に独特の緊張感と余白をもたらしている。
カツカレーカルチャリズム的に言えば、これは「美味しいが、説明しきれない」状態である。何が入っているかは分かるが、なぜこの組み合わせなのかは言語化しきれない。その曖昧さが、幸福感と同時に不安も生む。この両義性こそが、ボウイを単なる時代の寵児ではなく、後年にまで読み直され続ける存在にしている。
移行期の実験 ― 余剰が構造へと変換される瞬間
『Aladdin Sane』や『Diamond Dogs』に至る過程で、ボウイはグラム的過剰を少しずつ解体し始める。ここで注目すべきは、彼が「実験」に向かう際、ポップ性を放棄しなかった点である。楽曲は依然として聴きやすく、メロディは印象的でありながら、その内部では構造の歪みや不安定さが増していく。
この段階で、ボウイの浸透圧的体質、すなわち実験性が自然にポップへと滲み出る性質が明確になる。難解なことをしているという自意識が前面に出るのではなく、気づけば耳に残る、しかしどこか居心地が悪い。こうした感触は、後のベルリン三部作、さらには『Blackstar』にまで連なる重要な特質である。


ベルリン三部作の萌芽 ― すでにある「聞きやすさの異物感」
ベルリン三部作はしばしば実験的ロックの金字塔として語られるが、その内部にはすでにボウイ固有のポップ・センスが強く浸透している。アンビエント、電子音、断片的構造といった要素が前面に出ながらも、完全に抽象へと逸脱することはない。むしろ、美しいメロディがふと顔を出し、アレンジによって別の聞かせ方をされることで、楽曲は一義的な意味から解放される。
ボーカル・スタイルも特筆すべきである。ボウイの歌は、メロディをなぞることを目的としない。どこか語りに近く、ブルース的な粘度と、演歌的な節回しを思わせる情感が同居している。この「追わない歌唱」は、音楽を情緒的消費からずらし、聴き手に別の距離感を強いる。



70年代という仕込み ― ブラックスターへの伏線
こうして見ていくと、70年代のボウイは、常に過剰でありながら、過剰をそのまま放置していたわけではない。余剰は蓄積され、変形され、やがて「変化しようとしなくても変化が状態になる」地点へと向かっていく。その意味で、ブラックスターは突然変異ではなく、70年代から続く長い調理工程の末に生まれたおにぎりのような存在だと言える。
具材はすでに揃っていた。あとは、それをどう握るかだけだった。70年代は、そのための最も豊かな仕込みの時代だったのである。



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