2026-01

アート

コラム8:氾濫するイメージの時代に、絵画はどこに立つのか ― 多世界的視覚環境とヴィジョンの変容

あーとむーす画  アクリル B3 イメージが世界を代表しなくなった時代 現代において、イメージはもはや希少なものではない。スマートフォンやSNS、生成AIの普及によって、視覚像は過剰なまでに生成・流通し、私たちは意識する間もな...
アート

カツカレーカルチャリズム画家列伝69 ~フィッシュル 編

エリック・フィッシュル ― 境界線を越える「心の影」を描く画家 出典:Artpedia/エリック・フィッシュル 日常の内部に沈む倫理的揺らぎ エリック・フィッシュルという画家を見つめるとき、まず際立つのは、彼の絵画が一見...
アート

カツカレーカルチャリズム画家列伝68 ~ディア・アル=アッザウィ 編

未確定な像の倫理 ― ディア・アル=アッザウィと〈観測が形をつくる〉絵画 出典:Artpedia/ディア・アル=アッザウィ 断片が先にある世界 ― ディア・アル=アッザウィの立脚点 ディア・アル=アッザウィは1939年バ...
アート

カツカレーカルチャリズム画家列伝67 ~杉本博司 編

光と時間の層 ― 杉本博司の制作と思考のレイヤー構造 出典:Artpedia/杉本博司 写真を時間の装置として再定義すること 杉本博司の仕事を語る際、まず立ち返るべきなのは、彼が写真を「何かを写す技術」としてではなく、「...
音楽

マーラー交響曲第5・6・7番と近代主体の分裂

近代化の衝撃と交響曲という装置 19世紀末から20世紀初頭にかけて、人間の生活様式と価値観は急激に変化した。都市化、産業化、官僚制、情報流通の加速は、個人に自由を与える一方で、感情や判断の負荷を過剰に肥大させた。主体はもはや...
音楽

身体が跳ねる場所 ― ブルックナー交響曲第6番と「食欲」の問題

アントン・ブルックナーはしばしば「霊性の作曲家」として語られる。とりわけ交響曲第4番、第7番、第8番は、聖堂的な響き、神への憧憬、時間の停止といった修飾語とともに受容されてきた。これらの作品は、巨大な構造と持続する和声によって、聴...
音楽

聖典をくぐり抜ける身体 ― スヌープ・ライオンから『BUSH』へ

ヒップホップには、いくつかの「聖典」と呼びうるアルバムが存在する。ドクター・ドレーの『2001』は、その最たる例である。この作品は、単なる名盤ではない。以後のヒップホップにおける音像、完成度、成功の形式そのものを規定してしまったと...
音楽

ドクター・ドレと『クロニック』― ヒップホップをメタ化した音響の知性

ヒップホップというポストモダンの原型 ヒップホップは誕生の瞬間から、きわめてポストモダン的な芸術形態であった。既存の音源を切り刻み、引用し、再配置するサンプリング文化は、オリジナリティという近代的価値観を相対化し、複数の時間...
音楽

混成の幸福学 ― スーパーヘヴィ、ミック・ジャガー、そしてレゲェがほどく純粋性神話

美術や音楽において「純粋性」は、しばしば神話的な権威として機能してきた。ルーツ至上主義とも言うべき価値観のもとで、ジャンルは特定の土地、民族、歴史的共同体と強く結びつけられ、その内部性こそが正統性の条件とされる。レゲェはジャマイカ...
音楽

結晶するレゲェ ― 『ナッティ・ドレッド』とボブ・マーリーの地点

レゲェは、完成された民族音楽として突然現れたわけではない。それはむしろ、混成が混成のまま放置され、整理されきらない状態で鳴り続けた結果として、ある地点で「そう呼ばれるようになった音楽」だった。ジャマイカという島が背負ってきた植民地...
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