2025-12

アート

カツカレーカルチャリズム画家列伝59 ~ポルケ 編

宙づりの絵画 ― シグマー・ポルケと疑いの居場所 出典:Artpedia/シグマ―・ポルケ シグマー・ポルケは、具象と抽象、真と偽、意味と無意味の境界を意図的に不安定化し続けた、戦後ドイツ美術を代表する画家である。彼の作品は一...
アート

カツカレーカルチャリズム画家列伝58 ~リヒター 編

ゲルハルト・リヒター ― 判断保留としての絵画、撹拌され続ける視覚 ― 映像的揺らぎとレジリエンスの現在地 出典:Artpedia/ゲルハルト・リヒター 写真と抽象の分裂ではなく、同一の地平 ゲルハルト・リヒターの作品...
アート

カツカレーカルチャリズム画家列伝57 ~ホックニー 編

ホックニー ― 境界を軽やかに飛び越えるカツカレー的視覚 ポップの時代に現れた、異質な絵描き デイヴィッド・ホックニーが登場したのは、まさにポップ・アートが美術の中心を占めつつあった時代である。ウォーホルやリキテンシュタインが...
アート

カツカレーカルチャリズム画家列伝56 ~ステラ 編

フランク・ステラ ― 幾何からオブジェまで、モダニズムを食い破るカツカレー 過剰に理知的であるという出発点 フランク・ステラの初期作品、とりわけブラック・ペインティングを前にすると、まずその「理知の強度」に圧倒される。画面には...
アート

コラム7:論と情緒の配置 ― ミニマリズムともの派、そして現象学の現在地

ミニマリズムともの派は、ともに表現の主体性や物語性を抑制し、「物がそこに在る」という事実を前景化させた運動である。しかし、その方法と志向は一致していない。両者の差異は、様式や素材の違いに還元できるものではなく、見るという出来事がどこから立...
音楽

配置される感情 ― ストラヴィンスキー《プルチネラ》と編集的創造の起源

20世紀のはじまりに、作曲家が「自分の感情を書かない」という選択をしたとき、音楽は静かに別の道へ進みはじめた。イーゴリ・ストラヴィンスキーの《プルチネラ》(1920)は、その転換点を最も鮮明に示す作品である。ここには激情も告白もない。ある...
音楽

原始性の回路 ― ストラヴィンスキー《春の祭典》とオルフ《カルミナ・ブラーナ》、そして身体の行方

二十世紀音楽において「原始的」という言葉ほど、歴史的な要請を見えにくくしてしまう評価語はない。原始性は気分や趣味として選ばれたのではなく、ある局面ごとに、ほとんど不可避的に要請されてきた。その理由を見落とすと、《春の祭典》や《カルミナ・ブ...
音楽

固定化からの脱出――『エモーショナル・レスキュー』以後のローリング・ストーンズ

仮面としての声、編集としてのバンド 「正しいストーンズ」という幻影 ローリング・ストーンズは、あまりにも長く、あまりにも中心に居続けたがゆえに、「正しい姿」が存在するかのように語られてきたバンドである。『ベガーズ・バン...
音楽

フランク・ザッパの寸胴 ― 『One Size Fits All』と音楽創造の永久機関

名前のつく前から煮えていた鍋 フランク・ザッパの音楽を理解するうえで、「ジャンル」や「様式」から入ることは、しばしば本質を見誤らせる。ロック、ジャズ、現代音楽、フュージョン、あるいは風刺音楽といった呼び名は、いずれも後から貼...
アート

カツカレーカルチャリズム画家列伝55 ~マックス 編

幸福すぎる絵画 ― ピーター・マックスを語ることの危険について 出典:Artpedia/ピーター・マックス なぜ今、ピーター・マックスなのか ― 幸福が危険になる地点 ピーター・マックスを取り上げることには、いまなお微妙...
タイトルとURLをコピーしました